【遍照寺のあらまし】
光明山遍照寺は、岡山県真庭市宮地、光明山(標高 395 m)の頂上近く、約 320 mに在ります。開山や山号については、おおよそ 1,400 年前に聖徳太子が諸国を巡歴の途次、当山の山頂に霊光のきらめくのを見て聖地と定め、山号を光明山と名付け、観音堂を建立されたのが、当山の起こりと伝えられています。
弘仁2年(811)には、 中興の祖の弘法大師が、真言密教の道場として、堂宇を再興し、遍照寺と命名されたといわれています。そして、寛保元年(1741)には真言宗御室派の末寺となり、文政元年(1818)には仁和寺の御直末となっています。
また、当山の山麓には、同名の 遍照寺(真庭市栗原)、真言宗高野山派の末寺があります。寛文八年(1668)、備中の檀家と美作の檀家の紛争により美作の檀家は一部を除いて当寺を離れ、貞享三年(1686)、同じ光明山の東山麓に寺を建立し、光明山 遍照寺として今日に至ります。正式名称は、両寺ともに「遍照寺」ですが、一般に、山の上にある当寺を「上(うえ)遍照寺」、東山麓にある寺を「下(した)遍照寺」などと呼び分けられています。