この太鼓は、皮張り替えの際、胴の内側の墨書によって、応永二十年(1413)の製作が判明し、岡山県内で最も古いものとされました。また、備中松山城、高梁市の玉垣神社が所有するものを併せて、備中三太鼓とも言われ、これらは一本の藤の木から作られたと言われています。 なお、この太鼓は、延宝七年(1679)に備中松山城主水谷左京亮勝宗が、遍照寺へ寄進したものです。 |
薬医門形式の総欅造り (1845 再建) :真庭市宮地482
この太鼓は、皮張り替えの際、胴の内側の墨書によって、応永二十年(1413)の製作が判明し、岡山県内で最も古いものとされました。また、備中松山城、高梁市の玉垣神社が所有するものを併せて、備中三太鼓とも言われ、これらは一本の藤の木から作られたと言われています。 なお、この太鼓は、延宝七年(1679)に備中松山城主水谷左京亮勝宗が、遍照寺へ寄進したものです。 |